今日、志村哲男氏と、箕面の火葬場にて最後のお別れをしてきました。
僕が中学生の頃、所属していた雅楽団体に志村氏がやってきました。
当時、氏は中学校の音楽教師をしていました。
志村氏は学生の頃から、現代音楽・前衛音楽の現場に関わり、その中で雅楽の独特のサウンドに注目をし、南都楽所の門を叩いたのでした。
笙と右方の舞を専門に、一緒に稽古をした仲間でした。
志村氏とは、それから去年の手向山八幡宮奉納ライブで共演したのが最後になるのですが、本当に長~い付き合いでした。
まぁ、腐れ縁でしたね。
志村氏は学校を辞め春日大社を本拠地におく財団法人のスタッフをしながら、短波放送などを用いハングル後を習得し、ソウル大学へ行きました。
雅楽の中に高麗楽という様式があるのですが、それと同ルーツの朝鮮雅楽(国楽)を研究するためです。
ソウル大で人間国宝にコムンゴ(古い韓国琴)を学ぶなど、韓国国楽を習得し、日韓で研究者として数々の論文を出すなど実績を上げられるのですが、この方ほど、日本国内での評価と韓国の評価の落差の大きい人は珍しいほどでした。
日本では、サムルノリなど農楽(民謡)は、認知されるようになりましたが、国楽はなかなか一般的にならなかったこともあります。
また、志村氏のあまりにも破天荒な性格が、日本国内では合わなかったのでしょう。
それでも、いくつかの大学などで「東洋音楽理論」の講座を持ち、百科全書や音楽事典などに韓国・朝鮮の伝統音楽に関する執筆を多数遺しました。
去年、還暦祝いを韓国・釜山で行ったところです。
その写真を見ましたが、まるで韓国時代劇の国王でした。
氏は釜山で韓国の学生に韓国伝統音楽を指導していて、多くの若いお弟子さんたちに慕われていました。
ということで、氏はまだ61歳でした。
ここ数年で、韓国時代ドラマ「ファン・ジニ」でコムンゴが知られるようになったりして、これからが志村氏の研究内容が日本でも認知される環境になりつつあったところだったと思います。
長年の研究での膨大な貴重な資料が自宅にあるのですが・・・
今日韓国から仲間や教え子たちもやってきて、その成果は彼らに引き継がれることになるでしょう。
しかし、日本で日の目を見るのはいつの日になるでしょうか?
なにしろ、書籍の大半がハングル語ですし・・・しかも韓国人が読んでも難解らしくて・・・
最後までハイテンションで明るく活動的でしたが、足湯をしているとき座ったまま昇天したとのことでした。
僕が最初に現代音楽・前衛音楽の世界を紹介してくれたのも、
また、とかく文系的になりがちな、日本やアジアの伝統音楽を理系的に、また音楽工学的に理論解析したり、そのノウハウを教えてくれたことが、今の自分の音楽に対するアプローチの基盤になっていたりしています。
僕がどのジャンルの音楽ともコラボできる?のも、その基盤があってのことです。
現場(セッションや酒の席も含め)で実験をしながら、遊びながら学ばせてもらったのですね、今思うと・・・
1949年8月29日、埼玉県生まれ。
1985年2月、ソウル大学校音楽大学大学院国楽科理論専攻卒業。
玄琴(コムンゴ)を張師勛、李伍奎先生に師事。
短簫(タンソ)を李斗遠、金壽先生に師事。
京都府立大、富山大、大阪芸術大、韓国釜山大、東亜大で非常勤講師歴任。
百科全書や音楽事典などに韓国・朝鮮の伝統音楽に関する執筆多数。現在、釜山オウルリム国楽研究会講師。同日本支部長。
【執筆】
小学館
『世界大百科事典』朝鮮の音楽
『世界美術大全集』東洋編11:朝鮮王朝編 美術資料にみる朝鮮時代の音楽
音楽之友社
『音楽中辞典』朝鮮の音楽 その他小項目
平凡社・ビクター
『世界民族音楽大系』 東アジア編「韓国」 その他